日本での「西欧式日記帳」の起源について

自己中心の文学―日記が語る明治・大正・昭和

自己中心の文学―日記が語る明治・大正・昭和

「古本屋の感覚では、それらは超一流の有名人のものでもない限り「ツブシ」(捨てる本)同然で、市場の隅に積み上げられて入札される雑本の大山に放り込まれていた。もっとも大事にされてしかるべき日記を、こうした場に処分してしまう遺族の、死者に対する浅はかさが思いやられる光景だったが、ともあれ、そうしたものを見つければ、私はできる限り求めて帰った。いつか私の書庫は、たくさんの他人様の日記で埋まるようになったのである。」

と言う、古書店店主にして無名人の日記帳の蒐集家、青木正美氏によると、日本での「西欧式日記帳」の起源は明治13年1880年大蔵省印刷局発行の『懐中日記』(ならびに同時発行された大型の『当用日記簿』)ということになるようです。

一般に博文館の『懐中日記』が起源だとされているのには次のようなわけが…

「わが国に初めてヨーロッパ製の日記帳(ダイアリー)が持ち込まれたのは、1862年文久2年)のことで、パリで日記帳を買い求め、わが国に持ち帰ったのは福沢諭吉だと言われています。その後、わが国でも、庶民の間に日記をつけるという習慣が、徐々に広まっていきました。1937年(昭和12年)に刊行された『博文館五十年史』によれば、当初は内閣印刷局が、庶民向けの日記帳として『懐中日記』を刊行していた、とあります。しかし、博文館の創始者である大橋 佐平が、1895年(明治28年)に、内閣印刷局のものと同じ形で、ページ数を増やし、厳選された紙質で、同じ価格で『懐中日記』を販売したところ、爆発的なヒットとなり、2〜3年後には内閣印刷局は刊行を止め、博文館に刊行を委託するようになった、とあります。つまり、当社の前身である博文館が1895 年に刊行した『懐中日記』は、わが国の最初の日記帳と呼べるものであり、わが国における日記の歴史は、博文館の『懐中日記』から始まったと言ってもよいのです」と、同社の長い歴史を語るのは、代表取締役の大橋 一弘氏だ。
業界に先駆け、積極的にIT活用を進めている株式会社博文館新社

博文館からはじまった、 日本の日記。


http://d.hatena.ne.jp/roseselavy/20100508/p3:TITLE=『◯年日記(連用日記)』のオリジナル? 『A Line A Day -Five Year Diary-』一日一行(5年日記)