「春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり 」西行

ある深夜。都会のど真ん中なのに誰もいないところで、外灯に照らし出されたものすごい桜吹雪を目撃したことがありました。ものすごく豪華な景色でした。その豪華さというのは「だれも見ていないのに」ということだったのですが、そう思ったとたんに「あぁ、自分が見ている」ということに気がつき、なんだか納得しながら部屋にかえって「花見」をしました。
最高に風流な「花見」とはアレだ。と思うのですが、やはり「アレ」だけではつまらないので、今日は昼間に千鳥が淵と靖国神社を廻ってきました。靖国神社の能楽堂でやる「夜桜能」を一度見てみたい。
「強い春風のこの夜。近くのお寺さんの卒塔婆のよく鳴ること。」(老桜の精)


「西行桜」

京都、西行の庵室。春になると、美しい桜が咲き、多くの人々が花見に訪れる。しかし、今年、西行は思うところがあって、花見を禁止した。 一人で桜を愛でていると、例年通り多くの人々がやってきた。桜を愛でていた西行は、遥々やってきた人を追い返す訳にもいかず、招き入れた。西行は、「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」という歌を詠み、夜すがら桜を眺めようと、木陰に休らう。
その夢に老桜の精が現れ、「桜の咎とはなんだ」と聞く。「桜はただ咲くだけのもので、咎などあるわけがない。」と言い、「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭す。老桜の精は、桜の名所を西行に教え、舞を舞う。そうこうしているうちに、西行の夢が覚め、老桜の精もきえ、ただ老木の桜がひっそりと息づいているのだった。(Wikipediaより)

 製本家 内田由紀子さんの作品。
http://kappansanpo.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_7d70.html


もう二つ西行

花見ればそのいはれとはなけれども 心のうちぞ苦しかりける  

花に染む心のいかで残りけん 捨て果ててきと思ふわが身に